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ごみ処理施設の歴史

s40
40tバッチ式ごみ処理施設
(昭和40年11月~昭和55年12月)
 昭和40年11月から昭和55年12月までの約15年間稼働したごみ処理施設です。
 この施設は現在の機械化された焼却炉とは違い、ごみの投入から灰の搬出まで全て人力により行っていました。
 供用開始当時の乙訓管内人口は現在の約3分の1、約5万人で、ごみ処理量も現在の約3分の1以下の年間約1万3千トンでした。
s44
80t機械化バッチ式ごみ処理施設
(昭和44年12月~昭和53年3月)
 昭和44年12月から昭和53年3月までの約8年間稼働したごみ処理施設です。
 この施設は、ごみを一時貯留するごみピットが設置され、ごみクレーンによる焼却炉へのごみ投入といった作業が一部機械化されました。
 昭和40年代後半、我が国経済の高度成長とともに乙訓地域においては近隣都市のベッドタウンとして人口が急増した時期で、ごみの量も人口に比例して急増しました。
 昭和40年当時、年間1万3千トンであったごみ処理量は昭和50年度には年間3万トンを超えました。
S53
150tごみ処理施設
(昭和53年4月~平成7年3月)
 昭和53年4月から平成7年3月までの約17年間稼働したごみ処理施設です。
 この施設からストーカ方式による24時間運転を導入しました。
 また、この施設の特徴は焼却炉内温度は850℃~950℃の非常に高い温度で完全燃焼され、焼却に伴い発生する排ガスも、電気集じん器によりばいじんなどを除去した後、煙突から排出されるしくみとなりました。
S59
80tごみ処理施設
(昭和59年3月~平成13年9月)
 昭和59年3月から平成13年9月までの約17年間稼働したごみ処理施設です。
 この施設は可燃ごみ量の増加並びに150tごみ処理施設点検補修時の対応炉として建設したものです。
 この施設稼働当初の昭和59年度ごみ処理量は年間約3万9千トンとなりました。
h7
150t【75t×2基】ごみ処理施設
(平成7年4月~現在稼働中)
 平成7年4月から供用開始したごみ処理施設です。
 この施設は、昭和53年4月から稼働していた150tごみ処理施設の老朽化、また、近年のごみ質の変化に対応できる処理施設として建設されました。
 施設の特徴は、最新鋭のコンピュータによる自動運転を導入し、また、集じん装置にバグフィルター方式を採用するなど公害防止にも万全を期した施設です。
h14
75tごみ処理施設
(平成14年4月~現在稼働中)
 平成14年4月から供用開始したごみ処理施設です。
 この施設は、昭和59年から稼働していた80tごみ処理施設の老朽化、また、ごみ焼却時に発生する熱エネルギーを回収して発電できる設備を設け、省資源、省エネルギー実践施設として建設しました。
 また、この施設の完成により平成7年4月から稼働している75t×2基と合わせ3炉一体方式として最大日量225tのごみを安全かつ安定に処理することが可能となりました。

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